メンエスにも沢山通えば特に驚くことはなくなってくる。

ああ、この施術、この会話どこかであったなあと記憶の糸を辿るようになる。

通って間もない頃の驚き、興奮、感心、感動、それらすべてはもう一度味わうことはできないだろうと、自らのスレっからしぶりを呪いたくなる。もちろん、そんな中でもなお、新鮮な喜びや感動をくれるセラピストさんはいるものだが、自分自身が施術者として施術に精通すればするほどにその施術の完成度やらバリエーションなどが、益々気になって受け手として純粋に楽しむことができなくなってくるものだ。もちろん、そうした多少ともマニアックな技術論を書くのはやぶさかではないが、そういう方向になればなるほど一般ユーザーの関心からは離れていってしまうことを感じるし、またそれと同時に相当厳しい目で採点するような書き方になってしまうだろう。曰く、もっとここをこうすべきだ、こうできていないというように。だが、正直そんなものを書きたいとはあまり思えない。どうせなら、僕が書いたセラピストに読者が入ってみたいと思うものを、書かれたセラピストさんがもっとこの仕事を頑張りたいと思えるような記事を書きたいと思うからだ。その点、やたらとエロ目線で手順追うスタイルは、そうしたニーズを持ったユーザーをホイホイするにも、そのエロさを讃えられて祭り上げられることで少しは迷いを断ち切れるようになるセラピストにとっても一定の満足を与えられるのだろう。しかし、それもしたくない。

僕が作りたいメンエスの未来はそんなものではないからだ。

こうして僕は随分と体験記を書かない体験記ライターになっていた。

実はその間にも書いてみたくなるような人は何人かいたし、実際書きかけた原稿は少なくない。でも、最後の一押し、弾みをつけてくれるようなきっかけをずっと掴みかねていた。

だが、今日の山本さんとの出逢いでは久々に新鮮な「メンエスでの出逢い」の楽しさを味わうことができた。自分の中のマッサージ評価センサーをオフにして、ただただこの初対面の女性との会話や雰囲気を無邪気に楽しむことができたのである。普段のように事前にTwitterなどで情報を得ることもなく、ただただお店のスタッフからの「良い人が入りましたよ」との声かけに勇んで出かけたのが良かったのかもしれない。


「ガチャ」、ドアが開き、現れたのはいわゆるイマドキのギャルタイプとか、あるいは少し幼い感じの美少女タイプとは全然方向性の違う、クラシカルな雰囲気さえする落ち着いた雰囲気の美女だった。少なくとも今まで僕がメンエスで会ってきたタイプではないし、あまりTwitterなどで見かけるタイプでもない。ちょっと似たタイプの女優さんや有名人などは思いつかないが、目鼻立ちから輪郭に至るまで良く整った綺麗な顔立ちをしているので、ちょっと年齢を超越した印象さえある。「美人は若いときは結構歳上に見えがちだが、年齢が上がってもそう変わらない」というように、表記の25歳だと言われればそう見えるし、もっと上だと言われればそうも見える。だが、一緒にいる時間が長くなると、その実に健康的な肌艶やもう美スタイルとしか言いようのない見事なプロポーションからなるほど若々しい魅力が一杯の女性だということがわかってくる。パッと見だとしっとりとした大人のお姉さん風が板につきそうだし、ちょっと妖艶な感じで佇んでいれば、夜のバーなどにもしっくりと溶け込みそうなルックスなのに、中身はちょっとおっちょこちょいなくらいの、とってもピュアな可愛いらしさを感じさせる女性なのである。だから、話はとっても弾んだ。特に何を話すでもなく、彼女のこの仕事にかける意気込みや哲学を聴いた訳でもない。だが、一生懸命この時間を務めあげようという気持ちは感じられるものの、それ以上にこうしないといけないとか逆にこうしたくないというような面倒な哲学が感じられない。そして、そのまっさらな包容力が僕の疲れた心にはとっても有り難いものだった。沢山の質疑応答や親しくなるにつれてどんどん重なり合っていくこのメンエスというフォーマットの中で揺れ動く人間関係に良い意味でも悪い意味でもハマり込み過ぎている嫌いのある僕が改めて無に近い感じで彼女の前にいられることがとても嬉しかった。そう、彼女の爽やかな笑顔からはメンエス業界やナイトワーク的なものに晒されることによる疲れがまるで感じられなかったのである。勿論、実際にはそういった部分はゼロではないのかもしれない。だが、そうした部分が透けて見えてしまうとこちらまで疲れてしまう。この時間を一緒に楽しめない人に相手を癒すことなどできるはずがない。その意味で彼女は上手くそうした面倒くさいしがらみとは上手く距離を置いたところでやれている感じがある。言い換えるならメンエス業界に良い意味で疎い感じがとても良い。目の前にいるお客である僕と新たに作り出す関係を実にナチュラルに楽しいものにしようという気持ちがストレートに伝わってくるのである。品を決して失うことないままに実に屈託ない振る舞いや親密な距離感の取り方を恐らく素でできてしまう人なのだろう。だから、こちらもほとんど気構えることなく、とてもリラックスした時間を過ごすことができたのだと思う。


施術はまだまだこれから。

でも、きっとこれからどんどん上手くなっていくことだろう。

実際、請われてアドバイスしたところは素早く吸収していったし、普段からやり慣れているという施術に関しては極めてスムーズだった。

別に新しい技や細かい手順など気にすることはない。

いま出来ることをより楽しんで深めていけることの方がずっと大事だ。

それに、彼女には多彩な技を駆使するような技巧的なスタイルよりも一つの技をじっくり丁寧に様々な場面で繰り返し使うようなゆったりとしたスタイルの方が向いている気がする。


という訳で、山本さんはルックスやスタイルがバッチリで性格も良い人と一緒にいるとただそれだけで人は癒されていくというのの良い見本のような人だと言えるが、メンエスにおいてこの性格の良さというのは要するに邪念がないということでもあるのだなと彼女に出逢って改めて知ったような気がする。邪念がないから必要のないものまで拾ってしまったり、抱えてしまったりすることがないという感じとでも言ったら良いだろうか。

世の中にあるあらゆるノイズから身を守るのはある意味生きる上で必須のスキルであるが、そういうものにあまり影響を受けないためにはそれと闘えるだけの力を蓄えるか、それを上手くスルーする技術を磨くかのどちらかしかない。彼女が本当はどちらなのか僕にはまだわからないが、少なくとも現時点では後者のタイプのように見える。彼女自身がとってもしなやかだからそもそもそうした余計なノイズを受信しないで済んでいるのではないだろうか。

いずれにせよ、こちらから余計なゴールを設定しようという気にならなくなる、ただ一緒になってこの時間を無邪気に楽しむことを許してくれるような、そうした雰囲気が山本さんにはある。施術時にオイルがつかないようにとまとめた引っ詰め髪の彼女の姿からは無駄なものを削ぎ落とした無垢なる美しさと邪なるものを寄せつけずにこの空間を自在に楽しめる自然な強さの両方を感じることができた。

山本さんはその晴れやかな笑顔が極めて魅力的なセラピストさんであるが、それは意図して努力した結果作り上げられたものという感じではなく、場面が変わる度に微細に変化する一瞬の輝きとして存在している。サバサバしているようで人懐っこく、焦っているようで実に堂々としていたりする。だから、その自然な振れ幅をほとんど透明なくらいに真っ直ぐに見つけることができたこの120分が楽しくない筈がない。本当にあっという間の出来事だった。


その昔感じたメンエスの楽しさとはこういうものだった。

自らを洗い流すことができるような彼女との出逢いに感謝したい。